エヌ・ティー・エス ゲノミクス・プロテオミクスの新展開 2004


2.2 大規模変異スクリーニングの始まり

 1990年代にはいると、ショウジョウバエ研究者であったDrieverとNüsslein-Volhardがゼブラフィッシュ研究に参入してきた。彼らは、ショウジョウバエで実施されたような大規模で網羅的な変異スクリーニングを、脊椎動物において実施しようと考えた。筆者は、1992年にTübingenを訪れた時、Nüsslein-Volhard博士に「なぜゼブラフィッシュ研究を始めたのか?」という幼稚な質問をしてしまったのであるが、Nüsslein-Volhard博士の答えは「I just want to do the same thing as I did in Drosophila」というものであった。
 上述のγ線を用いた変異生成法では、大規模な染色体異常が引き起こされることがある。精子をENUで処理する変異生成法では、点変異が生成されるが遺伝的に均一でないモザイク個体が得られる。そこで、成体のオスを一定時間ENUあるいはethylmethanesulfonate(EMS)の溶液中で飼育し、未成熟な生殖細胞(精原細胞)に変異を生成する効率が調べられた。ゼブラフィッシュにおいてはENUがオス精原細胞に効率よく変異を生成し、子孫のF1に多数の点変異をもつモザイクでないヘテロ2倍体個体が得られることがわかった17),18)
 変異生成法の開発と同時に、ゼブラフィッシュを最小限のスペースで最大限の数飼育することができる循環水槽システムの開発がなされた17)。現在、様々な会社からこの原型の類似品が販売され、世界中のゼブラフィッシュ研究者によって使用されている。このようなシステム開発は、ゼブラフィッシュ研究の隆盛に必須であった(図2)
 1996年Nüsslein-Volhardの研究室、Drieverの研究室からENUを用いた大規模な変異スクリーニングの成功が報告された19),20)。脊椎動物の形態形成、器官形成など様々な現象に異常を示す多数の変異体が分離された。Haffterらは、3,075のF2ファミリーのスクリーニングを行い4,264個の変異を分離した。Haffterらは、そのうち1,163個の変異を解析し、372遺伝子の変異894個を同定した。遺伝子当りの変異数(allele frequency)は2.4であったから、単純に計算するとこのスクリーニングでは合計約1,800個の初期発生必須遺伝子が分離されたことになる。
 Haffterらによると、スクリーニングのsaturationの程度は約50%と見積もられたので、ゼブラフィッシュがもつ初期発生必須遺伝子数はせいぜい3,600個程度ということになる。この中で「特異的で興味深い」と考えられたのは約4分の1であったから、彼らの基準では全ゼブラフィッシュ遺伝子中、興味深い遺伝子はせいぜい900個くらい、ということになる。この概算には不確定な要素も含まれるが、脊椎動物の初期発生に必須な遺伝子数を実験結果から推定したことは意義深い。Drieverらは、2,799のF2ファミリーのスクリーニングから、2,383個の変異を分離した。allele frequencyは1.5であった。

2.3 ゲノム解析

 ゼブラフィッシュゲノムは、25組の染色体からなり21)ハプロイド当たりの塩基数は1,700Mbである22)。ドイツと米国で行われた大規模スクリーニングと並行して、1990年代半ば以降、ゲノム解析のための基盤整備が盛んに行われた。
 Postlethwaitらは、遺伝学的にはなれたABとDarjeelingという二つの系統を交配し作製したパネルを利用して、約400個のRAPD(random amplified polymorphic DNA)マーカーをマップし、初めてのゼブラフィッシュ連鎖地図を発表した23)
 ゼブラフィッシュゲノムには、随所にCAリピートが見られる。これを利用してSSLP(simple sequence-length polymorphism)マーカーが開発された。これらは「z marker」と名付けられた。Knapikらは、1998年にABとIndiaという二つの系統の交配から作製したパネルを用いて、705個のSSLPマーカーをマップした連鎖地図を発表した24)。2000年には下田らが、2,000個のSSLPマーカーをマップした連鎖地図を発表した25)
 1998年には、米国NIHのサポートによりEST計画が始まった。筆者と菅野(東大医科研)はゼブラフィッシュ完全長cDNAライブラリー26)を作製、供与し、EST計画に協力した。他種生物とのホモロジーをもとにクローニングされたcDNAの塩基配列情報も蓄積されてきた。radiation hybrid(RH)パネルが作製され、これらのcDNAの塩基配列情報を基に詳細なRHマップが作製された27),28)
 このようにして、ゼブラフィッシュのゲノム構造が明らかにされてくると、興味深いことがわかってきた。第一に、ゼブラフィッシュゲノムと哺乳動物ゲノムとの比較から、染色体の大きな領域にわたって遺伝子の並び方(synteny)が保存されていることがわかった。このことから脊椎動物ゲノムの進化の過程で生じた2回の2倍化が、魚類と哺乳類の分岐以前に起こっていることが示唆された29)。第二に、ゼブラフィッシュゲノムは哺乳類と比べるとさらにもう1組余分に遺伝子をもっていることがわかってきた。例えば、哺乳動物では4個のhoxクラスターをゼブラフィッシュは7個もっている。このことから硬骨魚類の進化の過程で、さらにもう1回ゲノムの2倍化が起こったことが示唆された30)。Postlethwaitらは、その後重複した遺伝子は失われていったが、ゼブラフィッシュでは2倍になった遺伝子のうち、少なくとも20%が残存していると考えた31)
 ゲノムDNA解析のためのPAC、BAC、YACライブラリーが作製された32)。英国のThe Sanger Institute(http://www.sanger.ac.uk/Projects/D_rerio/)では2001年にwhole genome shotgun(WGS)によるシークエンシング計画とBACクローン、PACクローンのマッピング計画の両方が開始され、現在同時進行している。2003年6月2日にリリースされたゲノムアセンブリーデータベースZv2では、WGSにより1,700Mbのゼブラフィッシュゲノムの約4.5倍にあたる塩基配列決定が行われ、自動的にあるいは手作業でアセンブリーされつつある。不完全な部分を含むsupercontigではあるが、それらのうち約1,400個は平均長約300kbとなっている。このゲノムシークエンシング計画の進行により、2005年末までにはfinished sequenceが発表される予定である。

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