2.シュードタイプレトロウイルスによるトランスジェニックフィッシュ
1994年、Hopkins研のポスドクであったLinらは、別の方法でトランスジェニックフィッシュを作製することに成功していた2)。シュードタイプレトロウイルス(pseudotyped retrovirus)を用いる方法である。このウイルスは、マウスレトロウイルスゲノムを、Gag、Pol蛋白質および水疱性口内炎ウイルス(vesicular stomatitis virus; VSV)のG蛋白質でパッケージングしてつくられる3)。もともと遺伝子治療を目的として開発されたもので、G蛋白質のはたらきによりヒトの細胞から昆虫の細胞にまで感染することができる4)。感染後レトロウイルスゲノムは逆転写され、cDNAがゲノムDNAに組み込まれる。Linらは、シュードタイプレトロウイルスを500〜1000細胞期のゼブラフィッシュ胚に微量注入し感染させた。cDNAが生殖細胞ゲノムに組み込まれ、次世代(F1)にはプロウイルス挿入をもつトランスジェニックフィッシュが得られた(図1B)。しかしながら、この頻度は低く、プラスミドDNAの受精卵への微量注入によりトランスジェニックフィッシュが得られる頻度と同程度か、それ以下であった2)。
この段階で、プラスミドDNA挿入と比較したプロウイルス挿入の長所は、染色体への組み込みが”クリーンヒット”であることだった。プラスミドDNAの挿入の際には、組み込み部位周辺にしばしば大規模な染色体DNAの組換えがひき起こされる。”クリーン”な挿入は、組込み部位周辺のゲノム解析や原因遺伝子の同定を容易にする。
3.プロウイルス挿入変異のパイロットスクリーニング
プロウイルス挿入が得られる頻度の低さを冷静に考えると荒唐無稽と思われたが、筆者らはこの方法でインサーショナルミュータジェネシス法の開発を目指した。「プロウイルスの挿入により、本当に変異を分離し原因遺伝子をクローニングできるか?」この問いに答えるため、筆者らは300種類のプロウイルス挿入を作製し、その中から胚致死変異を分離するというパイロットスクリーニングを開始した。開始当時、Hopkins研究室は水槽総数わずか200程度、96穴のPCR機は1台もなく、隣の利根川研究室に借りに行かねばならぬような状況であった(この状況はパイロットスクリーニングが進むにつれ改善されたが)。筆者らはスクリーニングの効率を上げるため、工夫に工夫を重ねて5)研究を進めたが、その時点のプロウイルス挿入頻度では2年以上かかる計画のように思われた。このプロジェクトに携わった学生、ポスドクは幸い全員が楽観的で、プロジェクトの成功に懐疑的であったが悲観はしていなかった。すでに、MGHのDriever研究室、チュービンゲンのNüsslein-Volhard研究室において化学変異原を用いたゼブラフィッシュ変異の大規模スクリーニングが進行中であるのは周知のことであり、筆者らが独自の道を進むことに疑いの余地はなかった。
ある日、筆者らはPCRの結果をみて驚いた。あるロットのシュードタイプレトロウイルスを感染させたゼブラフィッシュが、100%に近い頻度でfounderとなっていたのだ。PCR反応の際のコンタミネーションではないかと考え、対照実験を注意深く行なったが間違いではなかった。founder が出現する頻度は、それまでDNAの微量注入による場合も、シュードタイプレトロウイルス感染による場合もだいたい似たようなものであった。初期発生において、プロウイルスの生殖細胞ゲノムへの組込みは偶発的に起こる出来事であり、この頻度は変わらないものであると暗黙のうちに了解していた。その常識を打ち破るブレークスルーであった。それまでとの違いは、そのロットのウイルスがゼブラフィッシュ培養細胞において非常に高いタイターを示したことであった。このようにして得られたfounderの生殖細胞のモザイク度は非常に高く、1匹のfounder由来のF1から最大10種類以上の異なるプロウイルス挿入を回収することができた6)(図1B,図2)。筆者ら自身、これがどんなに素晴らしいことかを理解するのに多少時間がかかった。これを基にして前述の計算をやり直してみる。1.5x105種類の異なる挿入を作製するために、シュードタイプレトロウイルスを微量注入した1.5x104匹のゼブラフィッシュを飼育、解析すればよい。水槽数約1000個程度の規模の研究室において、年間数千種類のプロウイルス挿入の作製が可能になったことを意味する。
事態は一変した。このブレークスルーによりパイロットスクリーニングは一気に加速された。筆者らは、連日1000匹以上のゼブラフィッシュの尾ひれからDNAを抽出し、大量のPCR、サザンブロット解析をこなしていった。約300種類のプロウイルス挿入を同定し、それらのへテロ二倍体の雌雄を掛け合わせ、子孫の1/4のホモ二倍体が胚致死となるかどうかを調べていった。最初の胚致死変異が得られたときの筆者らの喜びは筆舌に尽くしがたい。合計4個の胚致死変異が分離された7),8)。
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